ご挨拶(CEO板倉小陽)

ご挨拶(CEO板倉小陽)

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ご挨拶(CEO板倉小陽)

皆様、はじめましてEmpire State株式会社のCEO板倉でございます。
(創業したのは23年9月ですが投稿するタイミングを完全に見失い、こちらで挨拶が遅れました。申し訳ありません。。)

まず簡単に私の自己紹介をさせてください。
・名前:板倉 小陽(イタクラ コヨウ)
・出身:神奈川県横浜市
・経歴:東京海上日動→デロイトトーマツコンサルティング→起業
・趣味:労働 / 筋トレ / 読書 / ボクシング
・座右の銘:量は質を凌駕する

俗にいう普通の人です。。笑

私は幼少期より「社長になる」と周りへ公言していました。
よくなぜ起業をしたんですか?と聞かれるのですが、理由は簡単です。”かっこいいから”ただそれだけです笑。
だって社長ってカッコよくないですか?お金もあるし、地位もあるし、有名になれるし・・・etc。
ただ一つ言うなら幼少期に母と見ていたテレビ番組の影響が大きいです。そのテレビ番組は『社長の年収を教えてください(うろ覚え)』という世間体で有名な社長を登壇させて年収を明らかにするという番組でした。
そこで登壇されていたのが某外資系製造メーカーの社長で、その社長の年収も驚愕の額でした。
スタジオが騒然とする中、社長が話されていた言葉が素敵でした。
内容としては『確かに私は相対的に高い年収をもらっている、だがそれは私たちが世の中に幸せを提供しているからだ。年収はその与えた幸せの対価でしかない』と。
これを聞いた幼少期の私は『社長ってかっこいいな!!!』と一緒にテレビを見ていた母に興奮して話しかけたのを今でも覚えています。

そこから社長になりたい夢はあったものの、なぜ社長になりたいか / 何をしたいのか / 何を世の中に価値提供したいのか等は全く浮かばず、とりあえず給料が良くてモテそうな大企業に入っておくかということで東京海上日動でのファーストキャリアをスタートしました。

そんな社会を完全に舐め切った22歳のクソガキが超大手企業に入ったので最初は自分が今まで生きてきた世界観とのギャップに最初は驚きの連続でした。
私の新卒入社年次は2020年という華々しいオリンピックイヤー!!ではなく新型コロナウィルス絶頂期での入社でした。
予定していた対面での新入社員研修は白紙になり、入社してから2週間は自己学習という想定外の社会人スタート。
私は全国転勤型の社員だったため、6月半ばの研修終了時には人事部長より画面越しに『福島県郡山市に転勤を命ず』と言われた時はZoomをミュートして”どこやねんん!!!!!!”と自分の部屋で叫んだのを覚えています。懐しい笑

皆さんあの画面越しに自分の転勤地(=居住地)を言い渡されたことあります??笑
ワクワク反面、現実なんだろうかとフワフワしますよ。
この文面を打っていたら、当時実家にいた私の妹がゲラゲラ笑っていたのを思い出してしまいました、なんであいつ自分の兄貴が転勤するのに笑ってるんや。

まあそんな急転直下な社会人生活のスタートですが、本当に東京海上日動に入社して福島県郡山市で働けてよかったと自信を持って言えます。
もう一回新卒でどこ入る?聞かれたら間違いなく東京海上日動を私は選びます。
何がそんなあったんだ?と気になるでしょ。まあそれは後日のお楽しみです。

そして社会人3年目の夏になり、転機が訪れます。
デロイトトーマツコンサルティングへの転職です。
今だから言えるんですけど、マジで転職する気なかったんですよ笑。
ふと22年6月に自分の市場価値ってどんくらいなんだろ〜と飲み屋で思った勢いでOpenworkに登録してしまったのがことの始まりです。
その勢いであれよあれよと決まってしまい、転職活動1ヶ月でデロイトトーマツコンサルティングへの転職が決まりました。
有給一切使わず、かつ勤務時間外にしっかりと転職活動をするという模範的すぎる転職活動を私はしました。まさに私の要領の良さですね、って自画自賛しすぎると墓穴を掘るのでやめます。

ただ私のシンデレラストーリーはここまででした。
正直、転職後は後悔と自暴自棄の毎日でした。
事業会社でゴリゴリの営業をやってきてトップランナーとして数字を作ってきた自分がコンサルに行ったらまるで通用しない。キーボードを叩く速度も遅いし、パワーポイントを作るのは遅いし、ショートカットキー覚えれないし、周りの方達は優秀だし、英語喋れないしと人生で2回目の挫折でした(1回目の挫折はまた今度書きます笑)。
労働が趣味な自分がはじめて仕事するのが嫌になった時でした。今までは仕事が嫌いとか言っている人がいると理解し難い有機物だとしか判断できなかったのですが、自分が同じ状態になって寄り添うことを覚えました。

上記の仕事でのバリューはもちろんですが、転職して一番キツかったことは”起業から逃げた”と自分のことを責めていた毎日だったことです。
あれだけ周りに起業する、世界を変えるんだと大口叩いておいて結局また新卒の時みたいに大手に行って逃げてるんじゃん俺、ともう一人の自分が常に陰口を言ってくるのは後にも先にも一番精神状態が厳しかったな〜。

まあそんな精神的に厳しかったデロイト時代ですが、ついに起業のタイミングが訪れます。

23年の夏、工事現場の下を歩いている時、ふとこの工事現場が崩壊して自分に当たってもう働けなくなった時何を一番後悔するだろ?と自問自答したんです。
答えはもちろん”起業”でした。
すぐに帰宅して起業の仕方から何から調べて、COOの前ちゃんに電話して『なあ、一緒に起業しない?』と誘ったのがEmpire State株式会社の始まりです。
一度決心したら私は嵐の如く取り組むのでまずは実際の社長に会おう!話を聞こう!ということでLinkedinというSNSをダウンロードし、片っ端から気になる社長に1通1通DMを送りました。累計で2,000通はDMを送っています。

こんな紆余曲折を経て起業したので今はやっと自分の人生のスタートラインに立てた気がします。

起業した今だから言えますけど、結局は全て言い訳です。
この世の中に起こる事象全てが自己責任です。

なぜそんなに働くのが好きなのか?と聞かれます。
答えは”自己実現”です。

私はスポーツ選手にもアーティストにも学者にも芸能人にもなれませんでした。なぜなら才能がないから。
才能が無い目立ちたがりの私が自分の生きた証を残すには、ビジネスパーソンとして社会で活躍するしかないんです。
だから社長になったんだと今、はっきりと言えます。

この会社に込めた想いは『世界一を日本から』です。
世界一挑戦できる環境を日本からこの会社が創る。
やってダメならもっとやります。

大企業を辞めて同じ挑戦を歩んでくれた共同創業者、COO前田康太に敬意と感謝を送ります。
大企業を辞めた中学からの幼馴染2人が世界一を創る軌跡を楽しみに見ててください。

まだまだ至らぬところも多く、クライアント様に日々助けて頂いているからこそ自分があります。
本当に周りの環境、皆様へは感謝しきれません。
結果として御礼を返していくのが使命です。

長くなりましたが私の挨拶とさせていただきます。

Empire State株式会社
代表取締役社長CEO 板倉小陽/Koyo Itakura